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代表 小林省吾

生い立ち
 私の生まれた上越市板倉区は、現在でこそ交通のアクセスは比較的容易ですが、旧板倉町時代、もっと正確に言えば私が生まれた昭和30年代は、隣村や旧高田市(現在の上越市)に行くのも一苦労で、バスと電車を乗り継ぎ、一日がかりでした。ある意味では、外界と遮断されていたのです。
 そのような田舎の農家の長男として生まれた父は、実直で、保守的で、曲がったことが嫌いで、人と違ったことをするのが大嫌いでした。小さいときから「家」を守るのを教え込まれてきたのです。
 その父の下で育った私ですから、次男である故に長男ほどは厳しく育てられなかったものの、保守的な生活を当然のことと思うようになります。冒険することをひどく嫌い、天候などの自然に左右される農業を通じ、絶対的な、人知の及ばない世界に対する畏怖の念を持っていったのです。
 そのような保守的な考え方は、現状を維持する上で、とりわけ「家」を守る上で大事なことです。しかし、交流する世界が狭い範囲に限られる結果も伴いました。

学生時代
 中学・高校時代には、都会にあこがれた世代ですから、進学情報を含めて、最新情報を入手するのにとても苦労したのを覚えています。やっと手に入れた情報も、古かったり、ガセネタだったりしたものです。進学情報に関しては、教員の息子の友人が最も正確で、素早い情報を入手できていました。その点は、かないませんでした。
 
 正確な情報入手の素早さが、時には人生を左右することもあります。
 大学受験時代のことです。当時、国立大学を目指していたのですが、国立2期の結果も出て、同じ境遇の友人と浪人生活を送ることを決め込んでいた矢先、友人の一人が首都圏の国立に合格した、と言うニュースが飛び込んできました。1期、2期両方とも不合格だった友人が、です。裏口を使ったんではないか、とか揶揄しましたが、実際には、教員の父親から国立3月募集の情報を入手し、相当短期間の内に、申込・受験・合格が決定したのです。その友人の実力を知っている私たちは、唖然としました。正確で、素早い情報の入手が彼の人生を左右したのです。
 
正確で素早い情報の重要性
 私は現代の若者ほど、正確で、素早い情報が必要な世代は無い、と思っています。インターネットの情報は、メディアの中では、最も素早いでしょう。しかし、正確度はどうでしょう。どこまで信憑性があるのでしょうか。あるいは、一度、翻訳された文面はどうでしょうか。100%正しい訳文なのでしょうか?正しい情報を求めれば求めるほど、原点、すなわち発信源は重要ですね。印刷されたものなら、情報源はどこ?TIME? NEWSWEEK? WASHINGTON POST? それとも USA Today? 
 もちろん、発信源が英語圏とは限りませんから、発信源のすべての言語を知っているのがベストでしょうが、それはかぎりなく不可能なことです。そうなると、最低でも世界言語である英語は、正確に理解しておく必要がある、ということになります。

日本人を認めている教師
 一例です。米国には、日本から毎年、多くの若者が語学留学をしています。受け入れ先のある大学の語学講師の話です。日本人は、学び始めのころはなかなか話に参加しなかったり、自分から話しかけない、そうです。中東諸国の学生は、非常に率先的で、誰にも話しかけるそうです。ですが、1年もすると、概して日本人の方が英語ができるようになっている、とのこと。何故でしょうか。その理由は、日本人が優秀だから、というよりも、学生時代、しっかり英文法を学習してきたからだ、ということです。
 高校受験や大学受験で勉強した英文法は、会話を含めた英語学習の基礎であることを証明している事実である、と私は思います。

世界を体験して欲しい
 私は、若者たちに、特に田舎にいる若者たちに、世界に出て行って欲しい、と思っています。自分の目で、身体で、日本の価値観だけではなく、他国の価値観を感じ取って欲しい、と思っています。その点を理解した上で、日本人として、個人としての独自の価値観を確立して欲しい、と思います。わたしは、日本が大好きです。そして、生まれ故郷の、この上越市が大好きです。大好きになれた理由のひとつに大きく占めるのが、米国などの海外の体験を、海外旅行を含めて、通算6年以上していることが挙げられます。その国の人たちと仲良くなったからです。仲良くなってみれば、肌の色がどうであれ、同じ人間として、友人として、対等に付き合えるのです。

 そんな体験を、現代の若者にたくさんしてもらいたい、と思っています。でも、仲良くなるには、コミュニケーションをとらないと仲良くなれませんね。要するに、言葉を知らないと、なかなか難しいんです。たとえば、肌が白い、見るからに西洋人風の人が、人懐っこく、新潟弁で話しかけてきたらどう思いますか?少なからず、嫌な思いはしないですね。かえって好意を持つはずです。他国の人が新潟弁を勉強してくれたと…。

可能性は日本だけではない
 皆さんは、特に若者の皆さんは、自分の可能性が埋まっている場所が日本だと、いつの間にか決め込んでいませんか。日本かも知れないし、海外かもしれません。可能性は大きいほうが誰でも良いでしょう?私は、少しだけ海外を体験して、最終的に、自分の可能性の埋まっている場所は生まれ故郷と、決定しました。

 
私は、「無限の可能性を持つ若者の、輝くばかりの能力を埋もれさせたくない」と思っています。能力ある人には能力に適った社会貢献をしてもらいたいのです。その一助になれば、と思って英語の講師を始めました。自分なりに、こういった形で社会貢献しようと思っているのです。